1961-04-19 第38回国会 衆議院 文教委員会 第17号
○高津委員 この小山富士夫という人は美術研究所、今は名前を変えて文化財研究所、それの昭和二十六年四月の第百六十一号ですが、「美術研究」という国を代表する国の出版物ですね、その出版物の中に北宋の修武窯、この論文が全くカールベックというスエーデンの人、学者の初めに発言したものを取って、しかもカールベックを非常に攻撃しながら、名前まで無作窯という名前であったものを、自分が新たに修武窯という名前にして発表したために
○高津委員 この小山富士夫という人は美術研究所、今は名前を変えて文化財研究所、それの昭和二十六年四月の第百六十一号ですが、「美術研究」という国を代表する国の出版物ですね、その出版物の中に北宋の修武窯、この論文が全くカールベックというスエーデンの人、学者の初めに発言したものを取って、しかもカールベックを非常に攻撃しながら、名前まで無作窯という名前であったものを、自分が新たに修武窯という名前にして発表したために
東京文化財研究所は、御承知のごとく元美術研究所、現在は東京文化財研究所で、美術部、芸能部、保存学部があるわけでございます。従来、保存科学部は建造物、美術工芸品の修理に伴う科学調査を主としてやっておったのでございますが、今後は、もちろん文化財の修理を中心とした保存科学に集中いたしますが、物の認定、価値判断の場合にもこれを大いに活用して参りたいと思っておる次第でございます。
○説明員(斎藤正君) 文化財の研究所と申しますのは、たとえば東京文化財研究所でございますが、これは昔の黒田先生がやりました美術研究所の後身でございます。
矢代君は、大学卒業後、東京美術学校、第一高等学校等において、二十数年間にわたり教べんをとり、この間、美術研究所主任、美術研究所長等を歴任し、同二十五年八月、初代文化財の保護委員会委員に任命され、引き続き同二十八年十一月再任され、現在に至っているものでありまして、現に、国立近代美術館評議員会評議員の職にもあるものであります。
矢代君は、大学卒業後、東京美術学校及び第一高等学校講師となりその後両校教授に任官し、大正八年十一月からはもつぱら東京美術学校教授として多年の間美術史に関する講師を担当し昭和十年六月美術研究所員兼東京美術学校教授となり翌十一年六月美術研究所長に補せられました。
美術研究所におきましては、これは新らしくできました東京文化財研究所の美術部にそのまま定員が移されたのでありますが、この四月一日以後移されておるのでありますが、この研究員に該当する技官が二十五名あるのでありまして、これが整理率五%といたしまして一名の該当者があるのであります。従いまして両方合せまして五名となるのでありまして、この数に基きまして衆議院で修正せられたと承わつておるのであります。
同様な関係にありまする文化財保護委員会付属機関の国立博物館、美術研究所の研究員についても、同じように取扱うべきものと存ずるのであります。つきましては国立科学博物館において四名、美術研究所において一名、計五名をこの際復活することとして、附則第六項行政機関職員定員法の第二條第一項の表文部省の項中、文化財保護委員会の定員を五名増加するように修正しようとするものであります。
それから東京は美術研究所を中心にしまして、今度の法律で東京文化財研究所というものは名前を変えて頂きましたが、保存研究部というものを新らしく設立いたしたいと思つております。これは部内の定員のやりくりによつて定員を満たして、あとは非常勤職員を数名とりましたのでこれによつて運営して行きたいと思つております。
○説明員(森田孝君) 文化財保護委員会関係の行政整理の総数は二十八名でありまして、内訳を申上げますと事務局が十八名、国立博物館が九名、美術研究所が一名であります。ここで問題を申上げますと、事務局の一般職員の整理率が三〇%になつておりますが、これは文化財保護法が昨年の九月発足したばかりでありまして新しく非常な事務が増加をしたのであります。
本庁で十八人、それから博物館、美術研究所等におきましては、守衛等の人は除きまして、極めて僅かな整理しかしないつもりであります。
なお東京に現在あります美術研究所は、でき得れば奈良と歩調を合せる意味で、東京文化財研究所とお名前をお変え願いまして、そうしてその中に防災科学の研究部を設けたい。それからでき得れば、又芸能の研究も設けたいというような希望を以て一応予算の要求を考えて参りたいと思つております。その他は従来の経常的な業務のための費用であります。 大体予算は、大変雑駁でありますが、以上御説明を申上げました。
○森田(孝)政府委員 現在文化財保護委員会は、研究機関といたしまして、東京に美術研究所を持つているばかりでありますが、文化財の保護法の精神を徹底して実施いたします上におきましては、調査研究の機関として、これだけではきわめて不十分であります。
次に、矢代君は、大正四年帝国大学文科大学を卒業し、東京美術学校、第一高等学校、東京高等師範学校等に教鞭をとり、又大正十年より同十四年に亘り、イギリス、フランス、ドイツ、イタリー、アメリカ合衆国に在留して、西洋美術史を研究し、昭和二年帝国美術院附属美術研究所設立に従事し、同研究所主任を経て、昭和十一年所長になり、十七年官を辞し、後に欧米各国博物館の調査に従い、現に国立博物館評議員の職にある者であります
この優秀な古美術の研究調査に便宜を與え、さらに新しい国民文化の創造によ、つて、世界文化の向上に寄與するために、国立美術研究所を奈良市に設立されたいというのであります。これは請願者は奈良県の県会議長でありますが、御審議の上御採択願いたいと思います。
○西崎説明員 奈良県という、国宝古美術等が非常に多いところに、美術研究所が設置されることは、非常に望ましいことだと思いますが、これを国立とするということは、予算その他いろいろの事情がありまして、今ただちにこれを実現するということは、相当困難があると思うのであります。しかしながら今文化財保護法が研究されておりますので、これと関連をもちまして、なお十分研究をいたして行きたいと考えております。
○原委員長 日程一六六、奈良県に国立美術研究所設置の請願、文書表番号一〇二五号。 本請願は、われわれ文部委員会が通常国会に文化財保護法を提出せんとしておりますので、それとにらみ合せて、本請願の趣旨を入れて、本法案で進めて行つたらどうでございましようか。 〔「賛成」「請願の趣旨だけ説明させなければ……」と呼ぶ者あり〕
) 第六一 六・三制教育予算復活に関する請願(二件)(委員長報告) 第六二 不良出版物、紙芝居等の取締励行に関する請願(委員長報告) 第六三 鹿兒島県下の豪風雨による被害学校等の復旧工事費国庫補助増額に関する請願(委員長報告) 第六四 六・三制教育整備予算復活および増額に関する請願(委員長報告) 第六五 国宝嚴島神社大鳥居修理費国庫補助に関する請願(委員長報告) 第六六 奈良市に国立美術研究所設置
) 第六一 六・三制教育予算復活に関する請願(二件)(委員長報告) 第六二 不良出版物、紙芝居等の取締励行に関する請願(委員長報告) 第六三 鹿兒島県下の豪風雨による被害学校等の復旧工事費国庫補助増額に関する請願(委員長報告) 第六四 六・三制教育整備予算復活および増額に関する請願(委員長報告) 第六五 国宝嚴島神社大鳥居修理費国庫補助に関する請願(委員長報告) 第六六 奈良市に国立美術研究所設置
請願第五百六十二号の奈良市に国立美術研究所設置の請願は、その趣旨に謳つております通り、日本古美術の宝庫であり且つ優秀な観光地である同県内に研究所を設けますことは、東西古今の美術資料を集めて文化財の調査研究に便ならしめると共に、文化的水準の高揚に資ずることとなりますから採択いたしました。
(第二百十九号)(第二百二十号) 第二百二十一号)(第二百二十二 号) ○六・三制建築費増額および定員定額 制廃止に関する陳情(第五十七号) ○六・三制建築予算増額および定員定 額制廃止に関する陳情(第七十三 号)(第九十四号) ○姫路城の補修、保護施設費国庫補助 に関する請願(第五百六十七号) ○国宝厳島神社大鳥居修理費国庫補助 に関する請願(第五百五十四号) ○奈良市に国立美術研究所設置
同(今村忠助君紹介)(第一一〇三号) 一六一 同(今野武雄君外三名紹介)(第一一〇 四号) 一六二 同(大石ヨシエ君紹介)(第二〇五号) 一六三 同(鈴木義男君外一名紹介)(第一一〇 六号) 一六四 大村市に国立学校設置の請願(岡延右エ 門君外一名紹介)(第九九三号) 一六五 嚴島大鳥居修理費国庫補助の請願(山本 久雄君外五名紹介)(第一〇〇七号) 一六六 奈良県に国立美術研究所設置
第一一〇一 号) 同(鈴木善幸君紹介)(一一〇二号) 同(今村忠助君紹介)(第一一〇三号) 同(今野武雄君外三名紹介)(第一一〇四号) 同(大石ヨシエ君紹介)(第一一〇五号) 同(鈴木善男君外一名紹介)(第一一〇六号) 大村市に国立学校設置の請願(岡延右エ門君外 一名紹介)(第九九三号) 厳島大鳥居修理費国庫補助の請願(山木久雄君 外五名紹介)(第一〇〇七号) 奈良県に国立美術研究所設置
○委員外委員(高良とみ君) 第二章でありますが、どうしてわざと美術研究所という名前が付いたのですか。今まで折角文化財と……文化財の保護法でありますので、ここへ來て突如として美術研究所という名前になつた理由を伺います。